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パセミヤのお好み焼き

okonomiyaki

パセミヤのお好み焼きは、両親がやっていた頃の後期のスタイルを引き継いでいます。

父ケンジの姉夫婦の会社の1店舗として1965年の春頃に父が店長でオープンしたのがパセミヤです。
当時は,10時開店で18時閉店。
ちょうど高度経済成長期で地方から大阪への人口流入も多く私設とはいえ北摂の胃袋を支える大きな市場があり商店街もにぎわい日常の買い物をしに出かける駅の近くだったということもあり当時はかなり忙しかったようです。

その後、バブルがはじけ、1995年の阪神・淡路大震災、リーマンショックがあり町工場や職人さんが住む文化住宅が多く存在していた下町も様変わりをしていきました。

食材や手順などは姉ちえとヨシヲが入ってから、より良くなるように変えたものもありますが大枠はそんな両親の時代のお好み焼きです。

昔はお客さまが焼いていましたがヨシヲが入った1995年頃くらいには店が焼くスタイルが主流になりました。このあたりは時代の移り変わりで、下町のお好み焼きは具材がベーシックなところが多く、街なかの店ほどアイデアを凝らした具材やトッピングが多かった印象です。

お好み焼き屋は個人店が多く1950年から60年代くらいの店舗が多かったこともあり全体としてのお好み焼き屋の数は減少傾向にあります。

全国的な統計としてはお好み焼き・たこ焼きというカテゴリーなのでお好み焼きだけでみると激減に近いと思います。

料理として生き残っているのは大手のチェーン店と個人店の努力とコンビニや居酒屋メニューの存在で意外と近所の馴染みのお好み焼き屋でお好み焼きを食べることって昔に比べて減っているのではと思います。

時代の変化もあり店として、ヨシヲが手伝うようになってからは、できるだけお客様にはきちんと説明できるものを提供したかったので、インスタントを使用していただしを昆布と野菜に変えたのが2000年くらい。それから食材を少しづつ差し替えていき今のスタイルになりました。

北海道産の小麦粉を使用し、季節ごとに産地の変わるキャベツは機械を使わず包丁で細かめに刻み、生地は少なめ、卵の割合多め、ソースはパセミヤ向けにブレンドしてもらったワンダフルソース。

好みもあるので今でも焼き上がってから、ソース、マヨネーズ、かつお節、青のりはお客様に確認してからかけるようにしています。
マヨネーズは昔は有料でキューピーの小さなパックになったものが20円とかで足りない方は2つかけてた。

焼き上がりはしっとりふっくらでキャベツの風味を味わう軽い食感のお好み焼きを目指しています。変わるものの良さもありますが、変わらないものの良さも伝わるといいなと思います。

最近のお客様も多くなってきたのでご挨拶代わりに書いてみました.

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