お好み焼きの系譜
しばらく前からお好み焼きの系譜を調べているんですが、漠然とこんな感じと言うことで。情報求む。
お好み焼きの場合、だいたい千利休の麩の焼きから書く記述がほとんどですがどちらかと言えばあちらは菓子なんでちょっと無理があるかなぁと。小麦粉料理全般の淵源といえば正解ではあるんですがあの説をはじめに書いたの誰なんだろう。
僕が読んだ中でお好み焼きの文字が出てくる古い本は柳田国男の「明治大正史世相編」でそのなかでは、東京のこととして馬肉を使用した「御好み焼き」の文字が出てきます。柳田は兵庫出身なので関西発祥であれば知っていたはず。ただこれがいまのお好み焼きと同じかどうかは不明。昭和5〜6年の文章なので後年の池田弥三郎さんの「私の食物誌」の記述と重なり、このあたりで花柳界との結びつきが出来たはず。橋爪紳也さんの「京阪神モダン生活」の中で昭和13年刊の「味覚の大阪うまいものや調べ」という案内本に特種料理(珍しい)として相生橋東北の「おこのみやきやちどり」が紹介。こちらも花街が近い。お好み焼きが生活圏に浸透しだしたのはいつなんだろう
お好み焼きは子供向けの駄菓子的存在から昭和のはじめころにお客さんが自分で焼くというお座敷遊びのひとつとして遊戯性を帯び密会場所みたいなものにもなっています。「おたのしみ焼き」という表現もあり。池田弥三郎の記述では当時銀座のお店で検挙されたところもあるみたいで。
「お好み焼き」としては東京発祥で、文字焼き→もんじゃ焼き→どんどん焼き→お好み焼きで各過程で他の形式との混交があり今につながるのかなぁと。混ぜて焼くか重ねて(載せて)焼くかで大きく異なりますがたぶん一枚ごとに食器に盛り付けする混ぜ焼きの方が調理過程の段取りを考えると異質なんだと思います。
形式としてはシンプルなのでどこか一か所で発生したモノが伝播したのか、いろんな地域でたがいに別々に発生・展開していってまじりあったのかは淘汰も含めて判断しにくいです。広島は東京の影響をあまりうけずに広島、岡山、徳島の瀬戸内文化圏で独自に発展した可能性があります。
地域的に「豚玉」ではなく「~天」という言い方があったりしたようですし、「洋食焼き」、「一銭洋食」などとの関係も気になります。昭和初期だと米を使わない「代用食」だった可能性もあるんですよね・・・。
老舗といわれるお好み焼き屋さんの創業年を調べていると特定の時期に集中しているのが興味深いです。昭和20(1945)年から25(1950)年くらいに初期のお好み焼き屋は集中しています。終戦、小麦の統制、GHQやユニセフによる援助、ヤミ市と屋台の取り締まりなどが関係しているのかなぁと。そのあとは高度経済成長期で「外食産業」の興隆と軌を一にします。
熱源(鉄板やガスなのかどうか)などをどうしたかとキャベツが入っていたかも調べているところですが、ソースもなかなか面白い。
道満調味料研究所(オリバーソース)によるとろみをつけたとんかつソースが昭和23(1948)年、おなじくとろみをつけたおたふくソースによるお好み焼きソースが昭和27(1952)年です。
あくまで無責任な妄想なんですが、イギリス経由のウスターソースとアメリカ経由のトマトケチャップと出会ってとんかつソースになったんだとしたらウスターソースはインドソースだしケチャップは福建などの魚醤(ex.鮭汁)の伝播なのでグルッと世界を回って旅と出会いを繰り返したことになる。
現存するお好み焼き屋さんで一番古いとされているのは浅草の染太郎さんで、こちらは昭和12(1937)年。たぶんこの少し前くらいから「お好み焼き屋」が出来たのではと考えています。問題はキャベツをいつから使うようになったかと混ぜ焼きスタイルの成立と当時はどう食べていたかで。
根本的に小麦粉の場合小麦から粉にする必要があるので製粉技術の伝播とあわせて考える必要があります。栽培自体は弥生時代くらいからと結構古いのですが。
いろいろ調べていると自分の親だったりにキチンと聞き取りしておきたかったなぁと思う事柄がいろいろと。父方の親戚は北九州で製パン工場をしていたはずなんですがその小麦粉とかどうしてたんだろうとか。祖父の代で疎遠になっているのでいまどうしているかわからないのももどかしい。
パセミヤで使っているソースはワンダフルソースなんですが、今度納品の際におっちゃんになんでソース屋をすることになったか聞いてみようと思っています。ソース屋さんも日本酒業界と同様桶売りがあったのは知っているんですが他にもどんな慣習があったのかいまのうちに聞いておかないと。
けど、まぁ食べ物は食べれば消えて無くなるので誰かが記録しないとわからなくなるなぁと。昔に江原恵さんが料理物語を丹念に読み解いた際に「御所様餅」と「近衛様雪餅」について指摘していたように料理自体が無くなるとレシピが残ってもイメージしにくかったりします。
料理書原典研究会を主宰し「日本料理事物起源」などを書いた食物史学者の川上行蔵氏によれば過去の文献をひもととくとひとつの料理がうまれ消えていくサイクルがだいたい80年くらいらしい。
いつかお好み焼きもそうなるのかなぁとも。