東京に向かう前にこれを書いています。
豊中の下町でながらく商売をしていて大阪市内に移転する際に、準備期間中に東京に焼きに来ない?と誘ってくれたのは銀座のヴィヴィエンヌの斉藤さんでした。なんやかんやで果たせず西天満で営業再開したときにメリメロの宗像さんに話をして頂いていたみたいで来る来る詐欺みたいになってしまい(汗)
そして、じゃあこのイベントで来ない?とあらためて誘って頂いたのが2012年に渋谷で開催された第3回のFESTIVINでした。ただイベントに参加したこともあまりなくその当時で言うとヴィナイオータさんのヴィナイオッティマーナに声をかけて頂き参加したくらいで全然段取りも慣れて無くって実際は暗中模索の時でした。
姉はホテルで勤務しているときにしばらく東京で勤務したときがありましたが、僕は二十年くらい東京に行ったことがなく。今は現地で焼くようにしていますが渋谷の時は店で焼いて持って行きました。今だから書けますが渋谷の時はアウェー感半端なく。横にうずらやの宮本さんや長崎のアンペキャブルの大坪さんがいてくれたのが心強かったですが。けど多めに焼いて持って行ったお好み焼きを知り合いに渡したりしたことがめぐりめぐって後々いろんな飲食のかたと知り合うきっかけになり、遠方からわざわざご来店くださるかたが増えたりとどこでどうなるかわからないなぁと。
個人的に、いまでもお好み焼きは下町の食べ物だと思っています。ただ下町という存在のあり方が変わり、生活のスタイルが変わったことによって、場所としての下町ではなく、下町的存在としてのトポスを顕在化させる装置としてのお好み焼き屋になっているのかなと思っています。そうなるとある意味場所はどこでもよかったりします。昔、解剖学・形態学者の三木成夫さんがその著書のなかで、植物的器官、動物的器官などを例に挙げ、植物が場所に根ざすことと対比して動物が場所を持ち歩く存在であると書いていたことが念頭にあります。これまた先日日本での受容に関して尽力された方がブルゴーニュのシャントレーブの栗山さんのお母さまとご縁が発覚した比較文化学者のエドワード・サイードの旅する理論(トラベリング・セオリー)にならっていえば旅するお好み焼きが合ってもいいのかもと思います。行った先々でどんどん変容しはじめにあったものとは異なるかもしれませんがあらたな形式で受容されることで存在する。そんなお好み焼き屋が一つくらいあってもいいかなと。
本日も皆様どうかよろしくお願いします!
写真は渋谷のFESTIVINのあとに訪れたつくばの「オシャレなシェアハウス」で焼いたお好み焼き。