
うちは、母が昭和9年(1934)生まれで、父が昭和11年(1936)。どちらも80歳の時に見送りました。
写真は2006年当時の二人。
ヨシヲが体調を崩して、勤めていたレストランを辞め、先々どうしようかと考えている時に阪神・淡路大震災がありました。
神戸などの被災状況をテレビや新聞などで知ることはできましたが、大阪でも兵庫寄りにある豊中市は全壊や半壊もあり、小学校に避難する方もおられました。
当時のパセミヤは、スーパーのテナントで、建物の壁や柱に亀裂が走り、安全性が確認できないということでビル自体が閉鎖となり、しばらく休業していました。
そしておよそ2ヶ月後に再開するとなったタイミングで「あんた、なんもしてへんのやったら店手伝ぉて」というオカンのひと声で、ヨシヲはパセミヤを手伝うことになりました。
いろいろありましたが、両親の人生の後半を家族4人が同じ仕事をして過ごせたのは、今となっては良かったのかなと思います。
豊中でも下町の雰囲気が残るところで、生活圏立地ということもありお客様はほとんどが顔見知りで、お仕事や互いの家族構成も知っていてという中での商売は、今ではなかなか経験できないかなと。
当時の両親の年齢に姉や自分が近づくにつれ、振る舞いがだんだん似てきたなぁと思ったり、まぁ同じ商売をしてるんやから仕方ないかと思ったりもしています。
自分が若い頃はお客様は目上の方ばかりでいろんなことを聞かせてもらいましたが、今は年下のお客様が増えているので、また違う話を聞きながら、今の時代ってそうなんやねと教えてもらうことが増えました。
食べモン商売で、うちの場合関西だけでなく遠方の方も多いので、食べ物の話が多いですが。
20代くらいのお客様に当時の話をしてると、だんだん歴史の部類になってきているのを感じます。
お好み焼きにしても、ヨシヲが手伝うようになった頃は、まだほとんどのお客様が自分で焼いて自分の好きにソースを塗って仕上げてというスタイルでしたし、マヨネーズはオプションで、お好み焼きだけのお客様の場合、言われないとお皿とお箸は出していませんでした。
それがいつからか店が焼くようになり、ソースも店が塗るようになり、梅田などの繁華街のお好み焼き屋では、餅やチーズ、コーンなどトッピングの具がいろいろ入ったメニューのところが増えました。
お好み焼き屋の時代の変遷は話し出すと長くなるので、この辺で。
営業時間を変えてお客様のご予約の時間帯がズレ、ゆっくりのんびりしていただけて会話も前以上にできるようになったこともあり、なんだか下町にあった頃の昔の雰囲気が出てきたパセミヤ。
違うのは予約制なコトぐらいでしょうか。当日のお問い合わせでもお席をご用意できるかと思います。
どうか気軽にお問い合わせください。