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たとえば、カウンターに座った三人のお客様に、同じ一本を注いだとしましょう。
ひとりは「スミレのような香りですね」と言うかもしれません。もうひとりは少し首をかしげてから、「赤い実の、もっと土っぽい感じかな」と言うかもしれません。三人目は、しばらくグラスに鼻を近づけたあと、「うーん、そう言われるとそんな気もしますが……よくわからないですね」と笑うかもしれません。三人目のような方も、こうして何度か経験を重ねるうちに、いずれは自分なりの味わいのボキャブラリーを持つようになるでしょう。
抜栓は同じ、温度も同じ、グラスも同じです。違うのは、飲む人だけです。
こうした場面は、一晩のうちに何度も起こります。同じワインでも、出す時間帯や、その日の混み具合、直前に何を食べていたかによって、返ってくる言葉が違うことすらあります。最初の頃は、そのたびに少し戸惑っていました。自分の説明の仕方が悪いのだろうか、と。けれど場数を重ねるうちに、そうとも言い切れないと思うようになりました。
こういうことは、パセミヤのカウンターでは珍しくありません。ワインだけでなく、料理でも起こります。同じ一皿を出して、「ちょうどいい辛さです」と言う方もいれば、「ワインのほうが強いですね」と言う方もいる。そのたびに、内心少し立ち止まります。私たちは、本当に同じものを味わっているのだろうか、と。
味は舌だけにあるのではない
「どちらの言い方が正解ですか」と聞かれることがありますが、困ってしまいます。スミレも、赤い実も、「よくわからない」も、どれも間違っていません。そう感じたこと自体は、動かせない事実だからです。
ただ、その手前で気になることがあります。私たちは香りや味を、なんとなく舌の上だけで感じていると思い込んでいないでしょうか。
実際には、風味という経験は、舌だけで完結してはいません。鼻から抜ける香り、口の中の温度や質感、そして目に映る色までもが、ひとつの経験として編み上げられています。
イギリスの心理学者チャールズ・スペンスは、これを多感覚的な風味知覚と呼びます。風味とは単一の感覚の出力ではなく、複数の感覚が統合されてはじめて立ち上がる経験だ、という説明です(文献1)。
香りや味そのものだけではありません。スペンスの仕事でとりわけ興味深いのは、グラスの重さや形、皿の色、店内の音までもが、風味の感じ方に関わりうると示している点です。同じワインでも、薄いグラスと厚いグラスとでは印象が変わることがあります。
私たちが「純粋な味」と呼んでいるものは、実は最初からこうした周囲の条件を含んだ経験なのかもしれません。
このことを、自分の体で一度だけ、はっきり確かめたことがあります。甲状腺の治療を始めたばかりの頃、薬の副作用で数日のあいだ、味を感じにくくなったことがありました。食べ物の食感はある。香りもする。けれども「味」だけがすっぽり抜け落ちている。ふだんはひとつのまとまりとして感じている「味わい」が、実はいくつもの感覚の寄せ集めだったのだと、そのとき初めて実感として理解しました。あの数日がなければ、風味が複数の感覚の寄せ集めだという話を、頭では理解していても、どこか他人事のまま読み流していたと思います。
同じ鼻でも、同じではない
風味が複数の感覚からできているとしても、それだけでは、なぜ人によって感じ方が違うのかまでは説明できません。鼻という入り口じたいが、すでに人によって違うのです。
匂いを感じ取る受容体の遺伝子群を発見したのは、リンダ・バックとリチャード・アクセルで、1991年のことでした。この発見はのちにノーベル生理学・医学賞につながっています(文献2)。ヒトにはおよそ400種類の機能する嗅覚受容体遺伝子があるとされていますが(文献3)、この遺伝子には個人差があります。
わかりやすい例が、スミレやベリーの香りに関わるβ-イオノンです。この香りへの感受性は、OR5A1という受容体遺伝子の型によって変わることが報告されています(文献4)。同じグラスから同じ分子が同じ濃度で立ちのぼっていても、鼻の側の受け取り方は、そもそも一様ではないのです。
先ほどの三人の違いが、これでそのまま説明できるとは言いません。感じ方の違いを生む要因は、他にもいくつも重なっています。ただ、少なくとも、感じ方の違いを「片方が鈍い」という話にしてしまうのは乱暴だとわかります。感じないことは、欠陥ではなく、条件の違いです。三人目の「よくわからない」も、集中していなかったからではないのかもしれません。
この考え方に立つと、お客様への説明の仕方も変わってきます。「もっと感じてみてください」とだけ促すのは、あまり親切ではありません。むしろ、感じ方には最初から個人差があることを前提にしたうえで、その方が実際に感じ取れているものに、こちらが言葉を添えていくほうが、対話としては成り立ちやすいように思います。
見えているものも味わっている
鼻の話だけでも十分ややこしいのですが、風味を作っているのは鼻と舌だけではありません。目も、思っている以上に働いています。
2001年、フランスの研究者たちが、白ワインに無味無臭の赤い色素を加え、プロのテイスターに評価させるという実験を行いました。すると、多くのテイスターが、赤く着色されただけの白ワインを、赤ワインの香りを表す言葉で描写したのです(文献5)。
この話を「専門家でも簡単にだまされる」という結論で終わらせてしまうのは、もったいないと思っています。むしろ大事なのは、視覚がテイスティングを邪魔する雑音なのではなく、ふだんから風味という経験そのものを構成する一部になっているということです。私たちは色を見ながら香りを予測し、その予測を含んだかたちで、香りを感じています。
黒いグラスでワインを飲むと、味わいがずいぶん頼りなく感じられることがあります。あれは、色という情報を、いつのまにか手がかりとして使っていたことの裏返しなのだと思います。
パセミヤには黒いグラスもあるのですが、実はまだ本格的に使ったことがありません。飲食関係の仲間や、よく通ってくださる常連さんを相手に、こっそりブラインドで試してみたい誘惑には、正直なところ駆られています。ふだんなら「これはシラーですね」とすぐに言い当ててしまう方が、色という手がかりを失っただけで、急に自信なさげになる場面を、一度この目で見てみたい気がしているのです。もしそうなるとしたら、それは知識が消えたからではなく、判断を支えていた足場のひとつが、そこで外れるからなのだろうと思います。
料理でも同じことが起きています。皿の色や、盛り付けの高さ、器の質感によって、同じ塩加減の一皿が、より塩辛く感じられたり、逆に穏やかに感じられたりすることがあります。目に入るものを、味わいと無関係な「見た目」として切り離すのは、実際にはかなり難しいのです。
言葉が同じでも、感覚は同じとは限らない
感じ方そのものが違うだけでは、まだ終わりではありません。私たちは、感覚をいったん言葉に置き換えてから、ようやくお互いに伝え合っています。その言葉のほうにも、ズレが潜んでいます。
「洋梨のような香り」と言うとき、私とお客様が、まったく同じ感覚を思い浮かべているという保証はどこにもありません。「リンゴのような香り」という同じ表現でも、フレッシュなリンゴを思い浮かべる人と、熟したリンゴを思い浮かべる人とでは、指している中身がかなり違います。熟したリンゴのニュアンスは、多くの場合、酸化のシグナルでもあります。
つまり私たちは、感覚そのものがずれている可能性と、感覚を指す言葉がずれている可能性という、二重のズレのなかでワインについて話しています。「スミレ」と言った方と「赤い実」と言った方は、もしかすると近い香りを、違う言葉で拾っていただけなのかもしれません。まったく違うものを、たまたま近い強さの言葉で表していただけかもしれません。確かめる術は、実はそれほど多くありません。
パセミヤでできることは限られていますが、抽象的な言葉だけに頼らず、実際に手元にある果物や香辛料を思い浮かべてもらったり、以前飲んでいただいたワインを引き合いに出したりすることはあります。共通の手がかりを増やすことで、言葉のズレを完全にはなくせないまでも、多少は狭められるのではないかと考えています。
それでも私たちは味を共有している
感じ方の違いばかりを並べていくと、味わいというのは結局、人それぞれで、共有のしようがないもののように思えてくるかもしれません。けれども、パセミヤで日々ワインを注いでいる実感は、少し違います。
ワインを飲み続けている方は、たしかに語彙が変わっていきます。最初は「おいしい」「渋い」くらいしか出てこなかった言葉が、少しずつ増えていく。何に注意を向ければよいのかが、自分でもわかるようになっていく。これは、鼻の感度そのものが上がっているというより、どこに注意を向け、感じたものをどう分類するかという技能が育っているからだと考えられます。ワイン専門家の優位性は、単に鼻が鋭いことではなく、こうした注意と分類の技能にあるとする研究もあります(文献6)。閾値そのものが変わらなくても、経験を積むことで、同じ刺激からより多くの情報を引き出せるようになる、ということです。
冒頭の三人目のような方も、実際には何人も見てきました。最初は「よくわからない」としか言えなかった方が、通ってくださるうちに、少しずつ自分の言葉を持つようになっていく。感覚そのものが変わったのか、注意の向け方が変わったのか、厳密には切り分けられません。ただ、何かが確実に育っています。
完全に同じ感覚を共有することは、おそらくできません。それでも私たちは、経験を重ね、言葉を交わし、訓練を積むことで、少しずつ感じ方をすり合わせていくことができます。完全な一致ではなく、部分的な、しかし確かにできあがっていく共有です。
この「部分的な共有」という言い方は、少し歯切れが悪く聞こえるかもしれません。けれど、カウンターで長く仕事をしてきた実感としては、これくらいの解像度で捉えておくほうが、日々のやり取りにはよく馴染みます。ぴったり同じ答えを探すよりも、少しずつ近づいていく過程そのものを、大事な部分として扱いたいのです。
では「合う」とは誰にとってのことなのか
最初の三人のお客様のところへ、もう一度戻ってみます。
同じワインの感じ方が、人によって少しずつ違う。同じ料理の感じ方も、同じように違う。しかも、料理とワインを一緒に口にすれば、その二つは互いの感じ方まで変えてしまいます。
それでも私たちは、「この料理には、このワインが合いますね」というひと言を、日々やり取りしています。この言葉は、いったい何を指しているのでしょうか。誰にとっての「合う」なのでしょうか。二つの「完成した味」を並べて照合しているだけではなさそうだ、という予感だけは、日々カウンターに立っていて拭えません。
感じ方が人によって違うとしても、何もかもが自由に決まるわけではありません。油脂とタンニン、塩と苦味、アルコールと辛味のあいだには、口のなかでもっと即物的な相互作用が起きています。皿とグラスを、それぞれ別々に味わっているつもりでいるあいだは、まだ何も始まっていないのかもしれません。
この連載について
しばらくは、この問いを軸に書いていこうと思っています。
最初の数回では、「合う」を決める前に、そもそも自分が何を感じ、何を感じていないのかを一つずつ確かめていきます。口のなかで実際に起きている相互作用や、「料理」や「品種」という言葉が、思っているよりずっと大づかみな地図でしかないという話まで。
そのあとで、「合わせる」という行為そのものが、完成した二つを照合する作業ではなく、その場でつくられていく関係なのではないか、という話に進みたいと考えています。パセミヤで「ペアリング」より「キュレーション」という言葉のほうがしっくりくるようになった理由も、そのなかで書けたらと思っています。
もう少し先には、南インド料理の歴史や、渋みや辛味がどこまで実証されているかという、かなり込み入った話も控えています。こちらは調べるだけでまとまった時間がかかりそうなので、いつ、どんな形で書けるかはまだ見えていません。気長にお付き合いいただけると嬉しいです。
結論を先に決めて、それを説明するための連載にはしたくないと思っています。仮説を立てては崩し、また立て直していく過程を、できるだけそのままお見せできればと考えています。
引用文献
- Spence, C. (2015). “Multisensory Flavor Perception.” Cell, 161(1), 24–35.
- Buck, L., & Axel, R. (1991). “A novel multigene family may encode odorant receptors: a molecular basis for odor recognition.” Cell, 65(1), 175–187. DOI: 10.1016/0092-8674(91)90418-X
- Mainland, J. D. et al. (2014). “Functional Variability in the Human Odorant Receptor Repertoire.” Nature Neuroscience.
- Jaeger, S. R. et al. (2013). “A Mendelian Trait for Olfactory Sensitivity Affects Odor Experience and Food Selection.” Current Biology, 23(16), 1601–1605. DOI: 10.1016/j.cub.2013.07.030
- Morrot, G., Brochet, F., & Dubourdieu, D. (2001). “The Color of Odors.” Brain and Language, 79(2), 309–320. DOI: 10.1006/brln.2001.2493
- Parr, W. V., Heatherbell, D., & White, K. G. (2002). “Demystifying Wine Expertise: Olfactory Threshold, Perceptual Skill and Semantic Memory in Expert and Novice Wine Judges.” Chemical Senses, 27(8), 747–755.